top of page

幸田さんのブログって

全ては一つであるということ
例えば「禅」と「数理生態学」、遠く離れているように感じるこの2つの学問。
しかし、この2つは「全ては一つである」という結論に収斂します。この「全て」とは文字通りこの世の全てを指します。


これを理解することは容易いでしょう。しかしこの真理を体に刻み込み、自身の行動の根底に位置させるのに私は10年程度かかりました。

真理が体に刻み込まれたその時、世界の見え方は全く異なってきます。地球を「球」と理解する前後、インターネットの有無。パラダイムはそれ以上にシフトするでしょう。

知覚が真理の一部であること
人は「人間」という道具(眼や耳などのデヴァイス)を使って知覚できる世界しか認識していません。 例えば鳥は、人とは異なる可視波長域を持っています。そのため人間には黒く見える花も、鳥には色彩豊に見えています。


人は「人間」という機能・枠組みを使って真理の一部を覗いている状態なのです。

あたかも筒(人間の知覚)を通して大海(真理)を覗き、たった一つの波(人が知覚できる世界)を見て、それを海だと認識しているようなものです。全然そんなこと考えたこと無かったあなたにも、優しい世界に生きたいあなたにも、煩わしい世俗にうんざりしているあなたにも。あなたの知的好奇心をくすぐる新たな刺激になれたら幸いです。

bottom of page